生牡蠣が好みではないと知った日に思うことーー「無駄を経験する価値」

日記

初めて訪れたOYSTER BARで、生牡蠣が自分の好みではないことを知った。あのクリーミーな独特の風味は、どうしても馴染めなかった。焼き牡蠣も試したが、結局最後に食べたカキフライが一番おいしいと感じた。26年間生きてきて、ようやく「生牡蠣は苦手だ」という、ささやかな自己理解を得た。

経験の欠如がもたらすもの

これまで金銭的な余裕がなかった自分は、挑戦や取り組む前に「成長につながるか」を基準に判断してきた。効率を重視し、無駄と思えることは避けてきた。

その結果として感じるのは、会話についていけない場面の多さだ。友人たちが盛り上がる話題に自分だけが入れない。質問されても「分からない」と答えるしかない瞬間が、思いのほか多い。経験をすることで人の話に共感できること、多様な引出しを持つことには、確かに価値があると感じている。

「意味のないこと」をする自由

少しずつ金銭的な余裕が生まれてきた今、成長という尺度にとらわれず、なんとなくやってみる。新しい自分への気づきや、人との交流のネタを作っていきたい。

また、意味がないと思っていたことから、想定外の発見が生まれることは多い。そして、AIが発展し効率や合理性が極限まで追求される時代だからこそ、一見無駄に思える経験をする余白を持つことこそ、人間に与えられた特権だと思う。

学び:お茶について

ちなみにこの日、お茶について新しいことも知った。お茶は発行の度合いによって種類が分かれる。発酵させれば紅茶、させなければ緑茶、半発酵ならウーロン茶になる。そして緑茶の中に、ほうじ茶や玄米茶、抹茶といったなじみ深い種類が含まれているのだという。

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