最高の二十代とは、最低の二十代のことである

手放した一冊の本から残った問い

去年購入した『20代で得た知見』という本を、今日売った。その本に書かれていた一節、「最高の二十代とは最低の二十代のことである」という言葉が、パラパラと本をめくった際に、目にとどまった。この逆説的な命題について考えてみる。

「最高」が「最高」出ない理由

まず考えるべきは、なぜ順風満帆な二十代が「最高」ではないのか、という点だ。

思い通りに何もかもがうまくいく二十代。それはまるでゲームにおけるチートのような状態だろう。最初は確かに楽しいかもしれない。自信に満ち溢れ、何をやっても成功する。

しかし、その状態が続けばどうなるか。次第にうまくいきすぎてつまらなくなり、何を楽しみに生きればいいのかわからなくなる。そして、その虚無感を埋めるために、薬物、酒、暴力といった破滅的な方向へ進んでしまう可能性すらある。

これが、「最高の二十代」が必ずしも「最高」ではない理由なのではないだろうか。

「最低」が「最高」である理由

では、「最低の二十代」とは何か。それは、行動しても思い通りにうまくいかない、苦しく、つらく、大変な二十代のことだ。

なぜこのような状態が「最高」だといえるのか。答えは、大きな苦しみや失敗を通してこそ、その後の成長、価値観の変化、人とのつながりが深まりやすいからではないだろうか。

大きな困難を経験すると、自分への理解が深まり、今後の逆境に対処できる力が身につく。これは、強いストレスによって「自分や世界はこういうものだ」という前提が壊され、これを立て直す過程で、生き方や価値観がより自分らしい形に組み替えられるからだ。

その結果として、人との関係をより大事にするようになったり、本当にやりたいことを選べるようになったりと、長い目で見て人生を豊かにする変化が起こる。だからこそ、振り返ったときに「最高の二十代だった」といえるのではないだろうか。

つまり、「最高=一番楽で楽しかった」ではなく、「最高=一番自分を変えてくれた・人生の土台になった」と定義するとき、「最低の二十代」がそのまま「最高の二十代」になる。

それでも、正解なんてない

もちろん、最高の二十代が本当に最高の二十代になることだってあるだろう。何もしなくたって、後悔したって、それも人生だ。何が正しいなんて、誰にも言えない。

ただ、自分は自分のやりたいことに挑戦しまくる二十代にしたい。

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