『チェンソーマン』を読んでいると、デンジって決して「立派」でも「清潔」でもないのに、なぜか目が離せなくなることがあります。
口も悪いし下品だし、教科書的な「いい主人公」とは言いがたいのに、「こいつ、なんか好きだな」と感じてしまう。
この記事では、その「なんとなく惹かれてしまう理由」を、
①達観と冷たさ
②素直すぎる欲望と前に進む力
③ときどき漏れ出る根本的な優しさ
この3つから言語化してみます。
① 絶望をくぐり抜けたからこその「達観」と「冷たさ」
デンジのスタート地点は、「父親の借金を背負わされ、臓器を売り、悪魔退治で日銭を稼ぐ」という、ほとんど人生ゲームのバグみたいな場所です。
ポチタ以外に頼れる存在はおらず、明日食べるパンにも困るような生活の中で、彼はずっとこういう問いと向き合わされてきました。
「なんで俺だけこんなにつらいんだろう」
「なんでこんなに理不尽なんだろう」
この「なんで?」が積もりに積もると、多くの人は二つの方向に行きます。
ひとつは、世界を恨み続けて不満に飲み込まれる道。
もうひとつは、「そういうもんだ」とどこかで諦め、感情を切り捨てて生きる道。
デンジは、後者にかなり近い場所に立っています。
- 幸せの基準が極端に低い
- ちょっとやそっとでは動じない
- 「世界は理不尽だ」という前提を、ある程度受け入れている
これらは全部、「もう、そういうものとして扱わないとやってられない」という、防御としての達観です。
だからこそ、デンジの言葉には、ときどき妙に落ち着いた冷たさがあります。
「理由なんてねえよ」「そういうもんだろ」
という雑な言葉の裏側には、「理由を考えすぎると壊れてしまうから、考えるのをやめた」という履歴が隠れている。
この「諦め」と「鈍さ」が、私たちにはどこかリアルに見えるのだと思います。
大人になっていく中で、誰もが少しずつ身につけてしまう「仕方ないよね」を、デンジは極端な形で体現しているからです。
② それでも前に進む「素直すぎる欲望」
そんな絶望の中にいるのに、デンジの口から出てくる願いは驚くほどシンプルです。
- おっぱいをもみたい
- 女の子と付き合いたい
- パンにジャムを塗って食べたい
一見、下品で幼稚なこの願いは、「底なしの貧困を経験した人だからこそ出てくるリアルな欲望」です。
「死ぬまでに一度でいいから、普通の男の子が当たり前にしてるようなことをしてみたい」
この切実さが、デンジの欲望には常につきまとっています。
そして重要なのは、彼が
「このまま苦しいだけの人生で終わりたくない」
「やりたいことをやらないまま死にたくない」
と、本気で思っていることです。
その本気さが、あのバカみたいな行動力と根性になってあらわれる。
- ボロボロになっても、何度でも立ち上がる
- どれだけ裏切られても、また「楽しいこと」「おいしいもの」に向かっていこうとする
- 「どうせ無理だよな」と言わず、「やってみればワンチャンあるかも」と突っ込んでいく
私たちは、綺麗な大義ではなく、「ただ自分の欲望に素直でありたい」というエネルギーで動く人間を見たとき、どこかで羨ましさを感じます。
普段、自分の欲望をいろいろな理由で抑えているからこそ、デンジの「欲望に真正面から突っ込んでいく姿」に、カタルシスを覚えるのだと思います。
③ ときどき漏れ出る「根本的な優しさ」
ここまでだと、「達観した冷たい貧乏人が、下品な欲望で走り続けてるだけ」に見えるかもしれません。
でも、デンジが唯一「ただのクズ」にならない理由が、この部分です。
- ポチタとの約束を守ろうとする姿
- 仲間が傷ついているとき、理屈抜きで体が動いてしまう瞬間
- 自分自身が「寂しさ」「孤独」「つらさ」を知っているからこそ、同じような痛みに触れたときの、あの不器用な共感
彼は、立派な言葉を使って人を励ましたりしません。
しかし、誰かが本当に追い詰められているとき、彼は案外そばに居続けるし、一緒にバカをやろうとします。
これは、彼が「自分が地獄にいたとき、誰もまともに助けてくれなかった」経験をしているからこそ生まれる優しさです。
だからこそ、その優しさはどこか無言で、少しぶっきらぼうで、相手の自由を尊重している。
- 深刻な顔で説教をしない
- きれいごとで救おうとしない
- ただ隣で、自分の欲望に正直に生きてみせる
それは、「一緒に生き延びようぜ」という、彼なりの差し伸べ方なのかもしれません。
デンジに惹かれる人は、何に反応しているのか
「なんとなくデンジが好き」という人は、知らないうちに、こんな要素に反応しているのだと思います。
- 世界の理不尽さに、一度は心をすり減らしたことがある
- 幸せの基準を、どこかで下げざるを得なかった
- それでも、どこかで「このまま終わりたくない」と感じている
- きれいごとではなく、不器用でぶっきらぼうな優しさに弱い
デンジは、「立派な主人公」ではない代わりに、「どこにでもいそうな、傷ついて、それでも生きようとしている人間」の極端な姿です。
だから彼に惹かれる感覚は、ある種の「自分自身の一部との共鳴」に近いのかもしれません。
最後に
デンジを「貧困出身の下品キャラ」で終わらせず、
「絶望から生まれた達観」
「それでも前に進もうとする欲望」
「経験したからこそ持てる優しさ」
として捉えると、彼の魅力が一本の線でつながります。
「なんとなくデンジが好き」だった人が、「ああ、自分のこの感覚って、こういうことだったのか」と気づけるきっかけになれば嬉しいです。


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